それをここに書きとめます。
今回、このようにして『谷口雅春著作集』を作成させていただいたきっかけというのは、私が「生長の家」に昭和44年入信しました。もともと、母が熱心な信者であったのはいうまでもなく、当時高校1年生の私が岩田美奈子さんという高校生に勧誘をうけたのが最初であります。その頃、生高連(生長の家高校生連盟)の大阪の組織を大高連と呼んでいました。熱心なお誘いは私の人生の道程を大きく左右致しました。また、吹田青年会に入ったのが更に大きな転換期となったのであります。高校生であった自分には青年会の誌友会は魅力的な会合でした。そこで、社会人の青年会員仲間の話の内容が難しく自分には理解できないことが度々です。また、雅春先生の『理想世界』誌の輪読は読めない言葉が多い。だが、必死になって覚えようと漢和辞典や国語辞典を片手に読むようにしました。そんな中でも、「生長の家」は天皇信仰ですと言われても、自分の範疇を超えてなにがなにやらわからない。高田さんという人が「大道無門」(戦前本)という本を持っておられてです。この光景は私の人生に強烈な印象を受けましたが、この事が再び何回か今後起こるであろう人生の印象であることは予感していなかった。高校生で『生命の実相』全巻をアルバイトで購入し、高校生で全巻読破しました。
高校を卒業し、社会人になってからは、超多忙な生活が始まりました。仕事が忙しく生長の家の活動どころではなかったのです。仕事に明け暮れる生活が3年程続きました。しかし、生長の家の気持ちは遠ざかるどころではなく、もう一度「生長の家」の活動をやりたいという沸沸たる思いは、「百万運動」に全精力を注ぐことになったのであります。吹田青年会で中学生育成部長を拝命して、誌友会に中学生が20名の動員が当たり前で、誌友会は楽しく、嬉々とした運動でありました。なんともいえないほど素晴らしい活動でした。そんななか、雅春先生の本を集めようと考え、その当時は近くの古本屋でも戦前版もありましたので時々購入したりして、徐々に増えてきました。
それより仕事の方が主であり、仕事で150時間の残業をしても、活動もしっかりとやっていました。その当時の本といっても、古本より出版されている新版本の購入がほとんどでした。
6年間勤めた仕事も光明化運動の活動の為に辞職致しました。我ながらなんと無茶な事をやったものであろうか。やはり若さがそのようなことをさせたのであるが悔いはない。
その後、大阪支部の青年会事務局に奉職しました。
その為、反対に雅春先生の本を購入するとかはなかなか忙しく出来ませんでした。それは24時間が青年会活動であるからです、日夜光明化運動です。古本屋など立ち寄る暇などなかなかありません。それでも、難波の角座前の天牛本店と斜め向かいに天牛書店があり、階段まで山済みになった古本を見るのが楽しみであった。もちろん組合橋筋のイサオ書店や心斎橋の中尾書店、宮本書店、望月書店、日本橋ブックセンターなど昭和書籍とともに3軒ほど並んでいたのが懐かしい。また、昭和55年にオープンした大阪球場なんば古書街などは教養の膨らみを遍く感じさせるお店ばかりであった。また北の方はカッパ古書街がオープンから5年目になっていた。
また大阪第一ビルの高尾書店、植村書店、浪速書林、土田書店など古本屋の全盛期であった。そうしたなかでも、京都の方に雅春先生の戦前本を探索する楽しみがあった。当時、兵庫県の宝塚青年会の小笠原さんの影響もあり京都の古本屋を教えていただいた。また日曜日に一緒に古本屋に行ったことがある。雅春先生の本を収集するという共通の趣味が心躍らされる時であったということはいうまでもない。
その時に現在の谷口雅春先生著作集というのを手書きで「生長の家30年史」を参考に手書きで書いたものが最初の試みである。
そして数年後、小笠原さんの所持されている手書きは私の一覧表より、より詳しい一覧表を作成されていたことを知り、それをコピ-してもう一度新たに一覧表を作成作業をしました。この時に「生長の家30年史」にはない著作や改訂版などの抜け落ちを知りました。
それからしばらくして、「生長の家50年史」が出版され、最後尾の著作一覧表を参考に手書きで作成した。だが、自分が持たなければ著作集は作れないことを実感したこともあり、なんとかより詳しい著作集ができないか暗中模索でありました。
だが、仕事は機械設計です。事務所の賃貸でパソコンを置き仕事をすすめていたこともあり、日夜問わず仕事でした。十数年間は年間休日が一週間以内という超ハ-ドな仕事であり、古本屋も行けない状況で10年間近く、この著作集も滞っていた。だが、なんとか纏められないだろうかと、パソコン入力を平成10年頃から取組む作業を開始しましたが、なかなか進まないのが実状でした。
だが、それを3年間でなんとか一覧表らしいものが作成でき、これに基づいて、まずは、永井古書店に間違いなどがないか、抜けている本などがないかを確認していただきました。
だが、まだ不安もあり大阪の吉田清吉先生や船越縫次郎の奥様に確認しました。
国会図書館にもパソコンで検索して、抜けている著作がないかも確認しました。
また、長崎総本山の温故資料館に資料を送信して、内容を確認させて頂きました。それからも内容に不安もあったのですが、まだまだ未完成な部分もありますがこの本を作成させていただきました。内容に不備がありましたら御教授をお願い致します。
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