昨日、ある古本屋で随分古めかしく痛んだ谷口雅春先生の著書『人生は心で支配せよ』昭和151120日発行の本です。手に入れた本は4版であり、函もない。既に5冊程所有しています。(今年谷口雅春先生の戦前本は20冊購入。本当に安く手に入れています。)

 

さて、戦前のこの時期においては沢山売れた本です。下記にその“はしがき“を記入したが『如何にせば運命を支配し得るか』は拾版を重ねて出版された、その当時ではよく売れた本です。この本は私も四冊程所有しているので、いろんな人が購入したことが推測できます。

この本の出版される少し前に雑誌『心霊研究』にご投稿されている。大正1311月号と11月号であるが、『如何にせば運命を支配し得る乎』。その後も続刊されていたかは不明です。だが『如何にせば運命を支配し得るか』は大正14610日発刊であるから、出版されていたことが考えられる。

さて生長の家の神想観はホ-ムズの黙念法が基本となっている。そこから唯心所現の世界への祈念する方法が現れたのが「神想観」である。光明思想の出現は如何にして現れてかがこの文章で明らかにされている。

 

はしがき

本書は私の神想観入門である。一日に一種の黙念法を行ひ、三十日で大体その初歩的実修が完了し得るやうになってゐるところに特長がある

 私が『新佛教の発見』に於て這べたやうな思想的過程で発見したところの佛教的真理―人間は本来自己内在の大自在・大円覚を有すと云ふ真理―は、関東大震火災当時の私に於てはまだ理念の大自在に過ぎないのであった。その大自在を理念より現実に成就する道はまだ私に発見せられてゐなかった。釈迦は法華経に於て入間本来すべて仏子であることを説いたが、観普賢菩薩行法経に於て、人間本来の仏性を実現する方法を説いた。私も観普賢菩薩行法経を読んで見たが、『端坐して実相を想へ]と書いてあるけれども、本当に如何に端坐し如何に念ずるかゞハツキリ解らなかった。その頃、恰も私は関東大震火災に遭っったのが動機で、私は郷里神戸に帰ったのである。そして神戸で私は私の自伝『超宗教を建つるまで』に記載してあるやうな径路で、フエンウイック・ホームズ著の“The Law of Mind in Action”なる書を獲る機会に接したのである。後者は唯今『新百事如意』なる題で私の訳補書が出てゐる。

 

 ホームズの“The Law of Mind in Action”を得て読んだとき、別著『新仏教の発見』に於て私が到達してゐた人問内在の大自在―本来の仏性を現実に成就する道に一つの行法を暗示されたのである。あるところの『大自在性』に転ぜしむる行法を発見せしめられたのである。と同時に、ホ-ムズの思想はクリスチャン・サイエンスやニュ-・ソ-トの流れを汲むものであったが故に、爰にはからずも仏教と基督教とを一つに一致せしめる道に大いなる示唆を得た。此の書は全く私にとつての普賢菩薩行法教の役目を果してくれたのである。大自在の『知』が『行』に成る契機が茲に与へられたのである。

 その当時、この書を得た私は悦びに満たされて翻訳し始めた。やがてそれは『如何にせば運命を支配し得るか』と題して実業之日本社から出版して貰った。それは謂はゞ私自身の運命革新書であつたのである。其の書は相当好評を博して当時拾版ばかり重版したが、其の後思索が進んで来た私には意に満たぬところがあるので、爾来絶版にしてしまつたのである。もうそれは約十八年前のことである。その後も私の思想は進歩し、向上し、今日に到達した。   ・

 

 最近此の書をもう一度出版して欲しいと云ふ要求が諸方にある。眼を通して見ると、現在の私の心境からは、以前の文章の儘では到底出版する勇気がない。現在の生長の家の思想には劣る点や、相異する点が眼に着く。『「悪」も「病気」も、一切は唯心所現であるから、現れてゐろ限りは存在する』と云つたやうな、アルとアラハレとの重大な混同をホームズがしてゐるのも気になるのである。筆を入れ出したら限りがない程である。私は以前の版を真黒に活字が見えなくなるほど筆を入れてしまったのである。以前の版を有ってゐられる人は対照して見られゝば、どんなに変ってゐるかゞはっきり判る。

 斯うなれば、もう翻訳とは称(い)へない。訳補と云ふ程度さへ超えてしまった。全然新たに書き卸したと云っても好い位である。と云って元来ホームズの著作に筆を入れ光明思想を伝へようとしたのであるから叙述の順序はホームズの儘である。叉其の順序は巧妙である。一ケ月を三十日に分けて毎日異なる言葉を思念する行法―ホームズの行法の順序は大変面白いと思ふ。私も現在の神想観を始めるまでは、大体このホームズの行法によって思念法を行ひ、神の叡智を流入せしむろことによって、私の性格は明るくなり、自由自在性が加はり、私の運命は暗黒から光明に転回して来たのてある。

 

本書に掲げたる黙念の言葉は、順序はホームズの行法に順って一ケ月三十章に分ってあるが、内容は私が実際やって見た結果、原著の黙念の言葉に洗練に洗練を加へて今日のものに達したのである。ホームズ行法と云っても好いが、原著とは随分改められてゐるから、今は一層有名になってゐる『神想観』になる名称でこの思念法を呼ぶことにしたのである。

 

 佛教、キリスト教、クリスチャン・サイエンス、ニュー・ソート等が生長の家の『生命の實相』哲學と如何なる関係にあり、日本に於て夫れが何故成就しなければならなかったか、そしてそれが世界史上如何なる位置を占むべきものであるかに就ての文献は、拙著『人生必ず勝つ』の第一章に掲げて置いたから併読せられゝば其の点はハツキリして来るだらうと思ふ。

 

 諸君が本書によって人生に勝者となり、一肩の幸福を得られんことを念願して世に送るものである。

 

  皇紀二千六百年明治節の佳き日に

                                著者職