皇道大本研究資料 亀岡叢書 全14巻 発行 大本新聞社 小冊子 ☆印谷口雅春先生 | ||||||
第壹編(T9.09) 皇道大本の教義 霊主體従 | T9.10.20 | | | P31 | |
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第貮編 正治先生の書物ではありません 佛説 法滅盡經の御話 加藤新講述 | T09.10.20 | | | P21 | |
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第参編 御筆先の解説せる 大本霊学 谷口正治先生 | T09.9.23 | | | | |
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第四編 谷口白龍(ペンネ-ム) 神示の比較宗教論 | T09.10.01 | | | P31 | |
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第五編 谷口正治 ヨハ子黙示録(子はママ) | T09.09.28 | | | P31 | |
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第六編 谷口正治講述 鎭魂歸神の要諦 | T09.10.10 | | | P28 | |
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第七編 谷口正治 基督再臨の眞相 今井楳軒翁の序 | T09.10.20 | | | P61 | |
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第八編 東尾吉三郎編纂 天理教祖の筆先と大本神諭 | T09.11.10 | | | P34 | |
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第九編 谷口正治講述 社会主義と皇道大本 | T09.11.18 | | | P39 | |
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第十編 谷口正治 行ふべき道 | T09.11.20 | | | P61 | |
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第十一編 正治先生の書物ではありません 大本大教祖 | T09.11.20 | | | | |
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第十二編 谷口正治 言霊と神通力 | T10.02.01 | | | P49 | |
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第十三編 東尾吉三郎 明治天皇御製と神諭 | T10.02.01 | | | P31 | |
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第十四編 谷口正治 非醫治療法批判 | T10.02.01 | | | P43 | |
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大本教では大正初年まで『綾部新聞』を編集発行していた。
これは内部では『神霊界』で外部の宣伝ではこの『綾部新聞』です。
大正8年10月には『大本時報』と改題する。その段階で谷口雅春先生は大本教に入信していた。この改題で編集の担当となっている。
ペンネ-ムを「まさはる」「白龍王」を使い分けていた。編集では「白龍王」をしている事が多い。
さて、『生長の家50年史』でも記載されていない内容を出来る限り書いていくようにします。
話が戻りますが、『綾部新聞』から『大本時報』ですが、ここでは様々な雅春先生の姿が見られます。この新聞に小説を連載しているのですね。
また、この『大本時報』で「皇道霊学講話」を連載している。途中から「ヨハネ黙示録の研究」を書いている。
また、大正9年8月5日~14日までの皇道大本夏季講習会で講師として講話しているのです。題名が『皇道霊学』です。
この時期では雅春先生の書籍の『皇道霊学講話』が一番売れるのです。それは判り易いからなのです。
だが、驚くのは大正8年の早春に大本教に入信し、しかも27歳という若さで翌年には講師を勤めているのです。
大正9年3月22日 東京専修大学講演 「大本より観たる心理現象」
大正9年3月23日 学士会館 「神力の科学的研究」
大正9年3月24日 有楽座 「改造の根本義」
大正9年3月25日 神田立花亭 「神と人との世界改造」
聴衆は付近の住人ですが、この若さでの圧倒的な講演に構内が感動に震えたという。
この昭和9年の3月頃は『皇道霊学講話』と『亀岡叢書』の編纂と超多忙な生活です。それ以外に『神霊界』の編集もあり、研究と執筆に専念していた。
亀岡叢書に『基督再臨の眞相』があるが、そこから雅春先生自身の預言を感じる。この本は後の出版の『神を審判く』の基本となる人生等の疑念が含まれている。
『霊界物語』
大本教の『霊界物語』は当初雅春先生が口述の記録係をされていました。
その内容は『霊界物語』1巻・2巻と記載されています。
第17章 神界旅行の四 大正10.1019
第18章 霊界の情勢 大正10.1020
第20章 日地月の発生 大正10.1020
第21章 大地の修理固成 大正10.1020
第22章 国祖御隠退の御因縁 大正10.1020
第21章 大地の修理固成 大正10.1020
第26章 魔軍の敗戦 大正10.1021
第33章 エデンの焼尽 大正10.1022
第34章 シナイ山の戦闘 大正10.1022
第38章 黄金水の精 大正10.1023
第39章 白玉の行衛 大正10.1024
第43章 丹頂の鶴 大正10.1025
第47章 エデン城塞陥落 大正10.1026
第1章(51) 攻防両軍の配置 大正10.1026
第5章(55) 黒死病の由来 大正10.1028
第9章(59) タコマ山の祭典 大正10.1029
第16章(66)梟の宵企み 大正10.1030
第19章(69)夢の跡 大正10.1101
第22章(72)言霊別命の奇策 大正10.1101
第30章(80)十曜の神旗 大正10.1103
第33章(83)焼野の雉子 大正10.1103
第37章(87)長高山の悲劇 大正10.1104
第39章(89)太白星の玉 大正10.1106
第42章(92)甲冑の起源 大正10.1108
以上出口王仁三郎の口述筆記です。
出口王仁三郎は寝ころんでいる状態でしゃべっていきます。
それを筆記するのですから、大変です。
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『霊界物語』の口述筆録とは
生長の家の信徒は私を含めて、大本の出口王仁三郎の記述した『霊界物語』など読むことはない。元大本の信徒であれば別である。言葉は難解ではあるが、内容は『霊界』の物語である。『霊界物語』の最初に谷口先生は担当(初日4人が担当)なされておられます。最初の口述筆録が下記の文章です。
皇道大本は第一次大本事件が起こり、すぐさまに今までの「大本神諭」からの脱却を図ります。それまでの「愛国的」な思想を捨て、言霊解釈を破棄して『霊界物語』を唯一の信仰本尊として唱え、出口なおの説いた「御筆先」は徐々に消えてくるのである。
つまり出口なおの開祖とその教えというのが「鎮魂帰神」というのがありますが、そうした考えに共鳴したのが浅野和三郎であり、「大正維新」であり「大正10年立替説」を唱えている。谷口先生もそうした「鎮魂帰神」に共鳴して入信しています。
そうした幹部がこの大本事件をきっかけに辞めていくのですが、この状況では致し方のない事であることが理解できます。大本からの分派は、菊花会(小田秀人)、真の道(萩原真)、璽宇(長岡良子、真の道からの分派)、惟神会(岸一太)、三五教(中野与之助)、神道天行居(友清歓真)、松緑神道大和山(田沢清四郎)、世界救世教(岡田茂吉)がいます。
大本は当時の教勢数は500万~700万の信徒がおり、その勢力がいかに強力であったか信徒数においても窺えます。
その当時の『大本神諭』火の巻というのがどういうものであったかは、後日書きます。また「鎮魂帰神」とはどういうものであったかも後程記載します。当時の大本の考えとしての「鎮魂帰神」と谷口先生の「鎮魂帰神」との比較をしてみたいと思っております。
え!と思われるかもしれませんが、谷口先生は大本では独特の考えとして捉えられていた部分があるからです。
▲大本教綾部総本部の金龍殿で「鎮魂帰神法」の神人合一の神懸り感合をする信者達。
(大正10年2月)
さて、それではどんな口述であるかを記入致します。
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最初は第一巻 第17章 神界旅行の四(17)
神界の場面が、たちまち一変したと思へば、自分はまたもとの大橋の袂に立つてゐた。どこからともなくにはかに大祓詞の声が聞えてくる。不思議なことだと思ひながら、二三丁辿つて行くと、五十恰好の爺さんと四十かつかうの婦とが背中合せに引着いて、どうしても離れられないでもがいてゐる。男は声をかぎりに天地金の神の御名を唱へてゐるが、婦は一生懸命に合掌して稲荷を拝んでゐる。
男の合掌してゐる天には、鼻の高い天狗が雲の中に現はれて爺をさし招いてゐる。婦のをがむ方をみれば、狐狸が一生懸命山の中より手招きしてゐる。男が行かうとすると、婦の背中にぴつたりと自分の背中が吸ひついて、行くことができない。婦もまた行かうとして身悶えすれども、例の背中が密着して進むことができない。一方へ二歩行つては後戻り、他方へ二歩行つては、またあともどりといふ調子で、たがひに信仰を異にして迷つてゐる。自分はそこへ行つて、「惟神霊幸倍坐世」と神様にお願ひして、祝詞を奏上した。そのとき私は、自分ながらも実に涼しい清らかな声が出たやうな気がした。
たちまち密着してゐた両人の身体は分離することを得た。彼らは大いに自分を徳として感謝の辞を述べ、どこまでも自分に従つて、『神界の御用を勤めさしていただきます』と約束した。やがて男の方は肉体をもつて、一度地の高天原に上つて神業に参加しやうとした。しかし彼は元来が強欲な性情である上、憑依せる天狗の霊が退散せぬため、つひには盤古大神の眷族となり、地の高天原の占領を企て、ために、霊は神譴を蒙りて地獄に堕ち、肉体は二年後に滅びてしまつた。さうしてその婦は、今なほ肉体を保つて遠く神に従ふてゐる。
この瞬間、自分の目の前の光景はたちまち一転した。不思議にも自分はある小さな十字街頭に立つてゐた。そこへ前に見た八頭八尾の霊の憑いた男が俥を曳いてやつて来て、『高天原にお伴させていただきますから、どうかこの俥にお召し下さい』といふ。しかし「自分は神界修業の身なれば、俥になど乗るわけにはゆかぬ」と強て断つた上、徒歩でテクテク西へ西へと歩んで行つた。非常に嶮峻な山坂を三つ四つ越えると、やがてまた広い清い河のほとりに到着した。河には澄きつた清澄な水が流れてをり、川縁には老松が翠々と並んでゐる実に景勝の地であつた。
自分はこここそ神界である、こんな処に長らくゐたいものだといふ気がした。また一人とぼとぼと進んで行けば、とある小さい町に出た。左方を眺むれば小さな丘があり、山は紫にして河は帯のやうに流れ、蓮華台上と形容してよからうか、高天原の中心と称してよからうか、自分はしばしその風光に見惚れて、そこを立去るに躊躇した。
山を降つて少しく北に進んで行くと、小さな家が見つかつた。自分は電気に吸着けらるるごとく、たちまちその門口に着いてゐた。そこには不思議にも、かの幽庁にゐられた大王が、若い若い婦の姿と化して自分を出迎へ、やがて小さい居間へ案内された。自分はこの大王との再会を喜んで、いろいろの珍らしい話しを聞いてゐると、にはかに虎が唸るやうな、また狼が呻くやうな声が聞えてきた。よく耳を澄まして聞けば、天津祝詞や大祓の祝詞の声であつた。
それらの声とともに四辺は次第に暗黒の度を増しきたり、密雲濛々と鎖して、日光もやがては全く見えなくなり、暴風にはかに吹き起つて、家も倒れよ、地上のすべての物は吹き散れよとばかり凄じき光景となつた。その濛々たる黒雲の中より「足」といふ古い顔の鬼が現はれてきた。それには「黒」といふ古狐がついてゐて、下界を睥睨してゐる。その時にはかに河水鳴りとどろき河中より大いなる竜体が現はれ、またどこからともなく、何とも形容のしがたい悪魔があらはれてきた。大王の居間も附近も、この時すつかり暗黒となつて、咫尺すら弁じがたき暗となり、かの優しい大王の姿もまた暗中に没してしまつた。
ただ目に見ゆるは、烈風中に消えなむとして瞬いてゐる一つのかすかな燈光ばかりである。自分は今こそ神を祈るべき時であると不図心付き、「天照大御神」と「産土神」をひたすらに念じ、悠々として祝詞をすずやかな声で奏上した。一天にはかに晴れわたり、一点の雲翳すらなきにいたる。 祝詞はすべて神明の心を和げ、天地人の調和をきたす結構な神言である。しかしその言霊が円満清朗にして始めて一切の汚濁と邪悪を払拭することができるのである。悪魔の口より唱へらるる時はかへつて世の中はますます混乱悪化するものである。
蓋し悪魔の使用する言霊は世界を清める力なく、欲心、嫉妬、憎悪、羨望、憤怒などの悪念によつて濁つてゐる結果、天地神明の御心を損ふにいたるからである。それ故、日本は言霊の幸はふ国といへども、身も魂も本当に清浄となつた人が、その言霊を使つて始めて、世のなかを清めることができ得るのである。
これに反して身魂の汚れた人が言霊を使へば、その言霊には一切の邪悪分子を含んでゐるから、世の中はかへつて暗黒になるものである。 さて自分は八衢に帰つてみると、前刻の鬼、狐および大きな竜の悪霊は、自分を跡から追つてきた。「足」の鬼は、今度は多くの眷族を引連れ来たり、自分を八方より襲撃し、おのおの口中より噴霧のやうに幾十万本とも数へられぬほどの針を噴きかけた。
しかし自分の身体は神明の加護を受けてゐた。あたかも鉄板のやうに針を弾ね返して少しの痛痒をも感じない。その有難さに感謝のため祝詞を奏げた。その声に、すべての悪魔は煙のごとく消滅して見えなくなつた。 ここでちよつと附言しておく。「足」の鬼といふのは烏帽子直垂を着用して、あたかも神に仕へるやうな服装をしてゐた。しかし本来非常に猛悪な顔貌なのだが、一見立派な容子に身をやつしてゐる。また河より昇れる竜は、たちまち美人に化けてしまつた。この竜女は、竜宮界の大使命を受けてゐるものであつて、大神御経綸の世界改造運動に参加すべき身魂であつたが、美しい肉体の女に変じて「足」の鬼と肉体上の関係を結び神界の使命を台なしにしてしまつた。
竜女に変化つたその肉体は、現在生き残つて河をへだてて神に仕へてゐる。彼女が竜女であるといふ証拠には、その太腿に竜の鱗が三枚もできてゐる。神界の摂理は三界に一貫し、必ずその報いが出てくるものであるから、神界の大使命を帯びたる竜女を犯すことは、神界としても現界としても、末代神の譴めを受けねばならぬ。「足」の鬼はその神罰により、その肉体の一子は聾となり、一女は顔一面に菊石を生じ、醜い竜の葡匐するやうな痕跡をとどめてゐた。さて一女まづ死し、ついでその一子も滅んだ。かれは罪のために国常立尊に谷底に蹴落され胸骨を痛めた結果、霊肉ともに滅んでしまつた。
かくて「足」の肉体もついに大神の懲戒を蒙り、日に日に痩衰へ家計困難に陥り、肺結核を病んで悶死してしまつた。 以上の一男一女は「足」の前妻の子女であるが、竜女と「足」の鬼との間にも、一男が生れた。「足」の鬼は二人の子女を失つたので、彼は自分の後継者として、その男の子を立てやうとする。竜女の方でも、自分の肉体の後継者としやうとして焦つてゐる。一方竜女には厳格な父母があつた。彼らもその子を自分の家の相続者としやうとして離さぬ。「足」の鬼の方は無理にこれを引とらうとして、一人の肉体を、二つに引きち切つて殺してしまつた。
霊界でかうして引裂かれて死んだ子供は現界では、父につけば母にすまぬ、母につけば父にすまぬと、煩悶の結果、肺結核を病んで死んだのである。かうして「足」の鬼の方は霊肉ともに一族断絶したが、竜女は今も後継者なしに寡婦の孤独な生活を送つてゐる。 本来竜女なるものは、海に極寒極熱の一千年を苦行し、山中にまた一千年、河にまた一千年を修業して、はじめて人間界に生れ出づるものである。
その竜体より人間に転生した最初の一生涯は、尼になるか、神に仕へるか、いづれにしても男女の交りを絶ち、聖浄な生活を送らねばならないのである。もしこの禁断を犯せば、三千年の苦行も水の沫となつて再び竜体に堕落する。従つて竜女といふものは男子との交りを喜ばず、かつ美人であり、眼鋭く、身体のどこかに鱗の数片の痕跡を止めてゐるものも偶にはある。
かかる竜女に対して種々の人間界の情実、義理、人情等によつて、強て竜女を犯し、また犯さしめるならば、それらの人は竜神よりの恨をうけ、その復讐に会はずにはゐられない。通例竜女を犯す場合は、その夫婦の縁は決して安全に永続するものではなく、夫は大抵は夭死し、女は幾度縁をかゆるとも、同じやうな悲劇を繰返し、犯したものは子孫末代まで、竜神の祟りを受けて苦しまねばならぬ。
(大正一〇・一〇・一九 旧九・一九 谷口正治録)
雅春先生が大本時代で執筆された『神霊界』や『神の国』を読みました。当時有名な小山内薫氏が大本の会員であったり、武者小路実篤も関心を示したり、芥川竜之介は神諭を読んでいたして、当時の大本の勢いは凄かった。倉田百三なども大本に魅力を感じたのです。
当時の文学博士物集高見は『大正日日新聞』で絶賛している。
これも松江市の出版であった『彗星』や『心霊会』が宣伝をして、一挙に教勢を拡大し、会員は増えていきました。
今では信じられないかもしれませんが、当時の閉塞した世で出口王仁三郎の書いた『大本神諭』火の巻はセンセ-ショナルであったのです。
彗星は何ヶ月にわたり「皇道大本」を宣伝していましたし、「心霊会」は大本特集号を組んで発刊しました。
当時の状況を把握していれば、雅春先生が入信した事がわかります。
『大本70年史』に
そのころ大本では、浅野和三郎を中心としてインテリア層が大本の所説の理論づけをおこなうとしていたときであったから、谷口はまたたくまに、その文筆の才をみとめられるようになり、文筆面で活躍するようになる。そして1919~20(大正8~9)年の、かれの文筆活動はめざましいものがあった。彼は浅野の直系として理論活動を展開するのである。
谷口はいう。「天地は審判の火に焼かれている。戦争と飢餓と疫病とは地上に恐るべき勢を以って氾濫している。
世界風邪はどうであったか。食料の欠乏はどうであったか。大火災の頻出はどうであったか。新聞紙は露都の食料欠乏甚だしく・・・人は人を共食し、人肉秘密にて販売せらると報じている。これでも愈愈の時でないといふのか」(「皇道大本の出現と世界の終末」大正8・7『大本信徒の主張』収録)
谷口の目にうつった当時の世界は、むごたらしくもまた悲惨なものであり、あたかも、キリスト教にいう最後の審判がやってきたかのようにうけとられた。彼はしきりにキリスト再臨論をといたが、それはいまのべたことと関連がある。「最後の審判の惨憺たる状態」を救うキリストはいつ再臨するかという問を提出して、それにつぎのようにこたえている。『聖書』のヨハネ黙示録によると、救世主は世界最後のたたかいとともにやってくる。
だからキリスト再臨の時期が世の立替え立直しのときである。
ところで『法蔵尽経』によると、月光菩薩五十二才が重大なる時期を示すが、王仁三郎は筆先によれば月の大神の霊魂なのだから、王仁三郎五十二才のとき、つまり1922(大正11)年こそ立替えのやってくるときだというのである。
谷口によれば、王仁三郎こそキリストの再臨であり、教祖なおは王仁三郎出現の先駆者であると結論づけられる(「基督再臨の真相」大正9・10)
こうしてキリストこそが王仁三郎であったのです。しかしそれが徐々に雅春先生の気持ちが揺らぐのです。
それは王仁三郎の『霊界物語』の口述であり、正念場である大正11年3月3日、5月5日であるのです。
『大本70年史』ですから、大本の立場になるのは当然であります。
ここでは、私の私論を述べますが『大本教70年史』のなかに
>したがって、「大本教祖の筆先と、仏説弥勒下生生経と基督教の聖書とを相列べて最後の審判の日を研究していた私は、周囲の神懸りたちの興奮した雰囲気と、自分自身の研究とに巻込まれて、矢っ張り最後の審判の正念場は大正11年3月3日、5月5日と思えるのであった」ともいうのである。(『生命の實相』六巻)
そして立替えの日がせまり、これを一大事だとわかるもののみが救われる選民なのだ、と彼は説いた。こうした谷口の考えは、当時の大本のなかでもきわめて独特のものであった。だが、その考えもだんだんとぐらついてくる。
立替=基督再臨は、谷口にあっては、どうしてもそうあるべきものであり、またそうあってほしいという願望と、期待のほかならなかった。けれども、ロシア革命や米騒動などの激変がややおさまり、また官憲の目が光ってみると、彼の考えもしだいに動揺してくる。そのめだった変化は、彼のいう立替えをめぐる解釈の変化にもあらわれてくる。
「大正日日新聞」の英文欄に、あと数百日以内に立替え立直しがあると主張されているのをみて、彼は、これは正しくないと批判する。
そして筆先によれば、「建替えの最後の日は伸縮自在の日限に来るべき」ものであり、その立替えというのは「天上の事」に属し、この世のことではないのだ。それがいつこようと悔いのない生活をしなければならない、と主張している(「最後の審判の予兆」大正10・3)。
この段階になると、立替えについてのかつての説を、あっさりすててしまうというかわりかたであった。<
これは「大本神諭」を体系的に纏めた谷口先生が当初の「この大本にて世界が救われる」という思いが段々、縮小していくのは矛盾を感じてくるからである。
当初は周りからみれば特異な存在であったことは、薄衣に荒縄で生活しており。「大本の聖フランシス」と自称していた。
だが、それは真剣な思いで入信していることは、前述しましたが、その筆先というのが徐々に薄らいでくる。
谷口先生はあまり『霊界物語』の口述を書いていませんが、大正10年10月19日に突然に筆先が始まり、その異様な感じはトランス状態に入っていたのを順次に口述する人を決め漏らさぬように記述していくのです。それをどうしても離れる要因の最初であるように思います。それは『生長の家50年史』に
谷口先生自身も。この頃の心境を「天香さんと倉田さん―或る日の私と私の妻との対話-」という文章にして、『光』誌(大正11年8月号)に発表されている。
《私、○○からこの仕事を頼まれて居るが、自分は頼まれたままにこの仕事を奉仕するのが本当に好い事か悪いことか考へすにいられないのだ、何故なら○○が本当に清いものだということが今の私にははっきりと保障出来ない。○○は私の奉仕するこの仕事を利用して何かよくない事を企てるかも知れないような気がするのだ》
そうしたのが、次第に矛盾に感じ、翌年では1週間一燈園の道場に行くのです。
それを王仁三郎に皮肉られて次第に「大本」から離れていくのである。
それは立替説が崩壊してことに一番の要因があり、それを『大本教70年史』に
三代目教主直日の回想によると、1921(大正10)年の秋のある日、谷口は王仁三郎をたずねたが、王仁三郎が不在であったため、直日にたいし、大本は1921(大正10)年に世の立替えがあるといったが、なにもかわったことがない。信者のおおくは家業を放棄し、会社をやめてきているので、いま生活ができなくて困っている。「大本はまちがいであったと天下にあなたの名前で謝罪して下さい」(「おほもと」昭和33・4)この「回想郎」によっても、谷口をさとらせた根本の原因が、立替え説の崩壊にあったことが明瞭となる。》
※ここに記入されている大正10年は大正11年の間違いですが、原文のまま記入しました
だが、一般的に考えると『霊界物語』に反発していた人も多くおり、編集者で常に掲載していた人で、大本幹部であった。浅野和三郎・岸一太・小牧斧助・浅野正恭・今井武夫・江上新五郎・岡田熊次郎であるがこの人達は《大本時報》《神霊界》の執筆者である。
勿論、尊王の立場からの論筆である。
茲で記入しております。『皇道大本研究資料 亀岡叢書』という本ですが、『生長の家50年史』やその他資料には出てきません。
だから、どんなものかはなかなか知ることができません。
ここを見ていただいています諸賢には何の事かを知る由がありません。
この本は当時の大本を体系的に理論的に組織した書物であります。この文章により更に論理的な大本となっていきます。
内容は前述しましたが、特に雅春先生が御執筆された8冊を主に記入していこうと考えています。
勿論、『皇道霊学講話』も基本的な論文と同じでもありますが、とりわけ『言霊と神通力』は言霊信仰には基礎的な学問であり、なくてはならない書物なのです。
意外とそれを知らないのが「生長の家」信徒なのです。
この本も徐々に記入していきますので乞うご期待下さい。
下記は既に記入しておりますが、重要な書物でありながら、生長の家では記載されていませんので再度掲載致します。
亀岡叢書というのは全14巻になる小冊子です。その中で
第三編 御筆先の解説せる 大本霊学 谷口正治(大本新聞での参照)
第四編 神示の比較宗教論 谷口白龍(ペンネ-ム)
第五編 ヨハ子黙示録(子はママ) 谷口正治
第六編 鎭魂歸神の要諦 谷口正治講述
第七編 基督再臨の眞相 谷口正治
今井楳軒翁の序
第九編 社会主義と皇道大本 谷口正治
第十編 行ふべき道 谷口正治
第十二編 言霊と神通力 谷口正治
言霊を詳しく書き表わしています。
第十四編 非醫治療法批判(上) 谷口正治
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