最近、別の掲示板での謹写されている文書が削除という憂き目にあっていますが、やはり本をまるごと一冊というのは著作権で違法となる。
雅春先生の書物を読むには近隣者でそうした御本を提供してくださる人しか今はありません。

それとも図書館司書となり地区にそうした人を置き自由に閲覧できる体制しかありません。例えば生長の家谷口雅春先生著作関係図書室を創設し、地方でも著作権にひかからないでコピ-は可能であると思います。
図書室内での複写などが可能であります。

図書館司書に受けていただいて自由に閲覧できる体制が必要であります。現在国会図書館では戦前の雅春先生の御著書でも自由に閲覧出来るのはそのためであります。

今回、戦後の雅春先生の著作年譜と雅春先生の御教えの原点ともいうべき歴史をこのブログに記入していきたいと思っています。

これは著作権とか関係もなく、自由にブログに書き込みが出来ます。しかもいろいろな資料をベ-スに私が書いていっているものですからそれが可能であります。
参考文献としまして

参考文献と資料館 


       ※一燈園資料室
             ※皇道大本図書資料室
             ※生長の家温故資料館
       ※船越縫次郎宅での資料
             ※『生長の家』
30年史

 ※『生長の家』40年史

          ※『生長の家』50年史
          ※谷口雅春先生九十年の足跡』

       ※碧巖録解釈

       ※歴史から何を学ぶか

       ※光明圖書目録(昭和17年発行)谷口雅春全著作集 附、光明讀書群の規約

       ※生命の實相の分類的研究

       ※谷口雅春先生九十年の足跡『神は愛也』

       ※光明生活シリ--2  日本教文社図書目録

   ※光明生活シリ--4  日本教文社図書目録

   ※国会図書館

   ※『社会運動の状況』内務省警保局昭和11年~17
       ※日本教文社コンテンツ一覧表
焚書や検閲をしている現総裁はどんなに言い訳しても言論自由な日本社会ではダメな事は明白であります。
だから、どんなに雅宣総裁がいいことを言っても、言行不一致で信用なくしているのも当然のことであります。
だからこそ、私のブログでそういう歴史を頒布していくのもインタ-ネットの重要な役割であります。何故それが悪いのかを歴史を学ぶことにより多くの人に知っていただきたい。