昭和4年12月13日  二回目の盗難後「今起て!」の神啓を受け、会社退出後の夜間に『生長の家』誌の執筆を始める。

執筆後間もなく、住吉村字八甲田690(藤棚の家)に移転。

昭和4年12月31日  『生長の家』誌創刊号1千部が印刷完了し納本される。

昭和5年1月     『生長の家』創刊号の無代進呈を開始する。

          31日 『生長の家』創刊号発行日として奥付に記載された日。(後に生長の家立教の記念日となる)

昭和5年7月    「生長の家の神想観に就いて」を発表。

昭和5年11月    「生長の家家族の祈願及修養」「神想観実修歌四首(神招歌)」を発表。

昭和5年12月    「生長の家の食事」(神示)11.04
          「甘露の法雨」を発表。生長の家の歌と題して『甘露の法雨』“神”“霊”“物質”の項を発表。
          (『生長の家』第一輯第十号)尚翌年『甘露の法雨』と題して“実在”“智慧”“無明”“罪”“人間”の                  項を発表。(『生長の家』第二輯第二号)

昭和6年1月     「完成の燈台の神示」1.15

昭和6年4月    「万教帰一の神示」4.05
昭和6年5月    「新天新地の神示」5.06
         「“心の法則”と“平和への道”の神示」5.30

昭和6年5月    大阪堂ビル清交社にて「ひとりでに健康になる話」と題して講演

昭和6年6月    「帰幽の神示」6.26


昭和6年9月    「生死の教」(神示)9.05

昭和6年9月    「大調和の神示」9.27

昭和6年9月    「“最後の審判”に就いての神示」9.28


昭和6年11月1日   五銭本『生きとほし』(『生命の實相』の抜粋)を発刊。

昭和6年12月    「信仰生活の神示」12.05

昭和7年1月     『生長の家』合本第一巻『生命の實相』(総黒革表紙・三方金1千四十頁)を出版。


昭和7年1月     「声字即実相の神示」1.11

昭和7年2月     「天使の言葉」を発表。「甘露の法雨」と題して“生長の家”の項を発表。(『生長の家』第三輯第二号)
           後に「天使の言葉」となる。

昭和7年2月     「自他一体の神示」(報恩行に就いての神示)2.04

昭和7年2月     「上求菩提・下化衆生の神示」2.09

昭和7年3月     『生長の家』第3輯第3号より表紙画が15日に霊象に現れた神姿の図案となる。

昭和7年3月     「いのちのゆにはの神示」3.14

昭和7年3月     「使命邁進の神示」3.15

昭和7年4月     「生長の家見真道場の設立」を提唱。

昭和7年4月     「無相円相一切相の神示」4.10

昭和7年5月     このころ、住吉村八甲田6592に移転。(境目川(さいめがわ)の家

昭和7年5月     「無限供給の神示」5.05

昭和7年5月     「久遠天上理想国実現の神示」5.27

昭和7年7月     「万教包容の神示」7.07
           ヴァキュ-ム・オイル・カンパニ-を退職。81日より全生涯を人類光明化運動に捧ぐ。

昭和7年8月     「懺悔の神示」8.12

昭和7年9月     「實相金剛身の神示」9.02

昭和7年10月     「生長の家経済連盟の提唱」を発表

昭和7年11月     「無病常楽の神示」11.10

昭和7年11月     「本来生、不滅の神示」11.25

昭和8年1月     「梅の花の神示」1.06

昭和8年1月8日    東京雑司ヶ谷「友の家会館」にて「中心(すめろぎ)に帰一する道」を講演

昭和8年1月     「自然流通の神示」1.25

昭和8年3月10日    「生長の家新聞」(4頁)を発刊。同誌に「生命の芸術について」発表。また「非常時日本に日本精神を発揮
            せよ」を掲載。生長の家出版部の印刷所

昭和8年3月     「至上者の自覚の神示」3.16

昭和8年6月     「實相を観ずる歌」を発表。

昭和8年8月     「本当の信仰に就いての神示」8.05

           『生長の家新聞』を廃刊し、『生命の芸術』を創刊。

昭和8年9月     「霊魂進化の神示」9.15

昭和8年12月     『生長の家』合本第二巻『久遠の實在』を出版。


昭和9年1月      最初の講演旅行のため、盛岡、東京、七尾へ出発。(21日帰着)

昭和9年1月12日    県社桜山神社で一般の人対象に開催「生命の無限生長の道」
           と題して講演。『岩手日報』では当日写真入りで「生長の家の開祖、谷口雅春氏来盛す」と写真入りで報道。

昭和9年1月14日    東京・浅草・富士小学校にて講演会(148名)

昭和9年1月15日    愛の幼稚園(賀川豊彦氏経営)にて誌友会(30人)

昭和9年1月16日    山根八春氏邸で誌友会(58名)東京・目黒

昭和9年1月17日    立仙淳三氏邸(70名)(立仙氏は後程、家庭光明寮塾長)

東京・小石川

昭和9年1月18日    松本肇氏邸(80人)(前年の東京の初めての講演会のお世話役)

昭和9年1月19日・20日   石川県七尾 講演会(19日、20日)





昭和9年5月       「われ山頂より雲を招ぶ」(自他俱富の真宗教の一機能として、その弘道機関として株式会社
             「聖典普及会」を提唱したもの)を発表。

昭和9年8月22日    上京にあたり住吉での最後の誌友会が御影ホテルで開催される。(参会者120名)
昭和9年8月29日・30日    29日住吉を出発し、翌30日入京。

昭和9年9月        東京にて最初の誌友会を開く(これ以降赤坂本部できるまで谷口先生宅にて誌友会)

昭和9年11月       第一回人類光明化運動講演会を有楽町報知講堂で開催。

             株式会社光明普及会の発足

昭和10年1月      『生命の實相』全集第一巻を発刊。

昭和10年2月      「生長の家」家族の微章を発表。

昭和10年5月      『主婦の友』5月号に「奇蹟的な精神療法の真相を探る」-話を聞くだけで難病が全治するといふ
            『生命の實相』とは何か?-と題して生長の家特集が掲載される。

生長の家教育部を創設。

昭和10年6月      このころ、京都支部より折本型聖経『甘露の法雨』を発表。

昭和10年8月      『生命の教育』創刊。
           赤坂本部(旧山脇高等女学校を譲受)

昭和10年11月      本部に花嫁学校「生長の家家庭光明寮」を開寮。(総裁・谷口雅春先生 寮長・谷口輝子先生)


昭和10年11月      第一回生長の家指導者講習会を開催し、「古事記」を講義。

昭和10年12月      「生長の家宗教連盟の提唱」を発表。
           谷口雅春先生作『釈迦と維摩詰』が早稲田大学大隈記念講堂において上演される。
           『生命の實相』全集全12巻出版完了する。

昭和11年1月      教化団体「生長の家」を設立

昭和11年2月      白鳩会を結成。(総裁・谷口雅春先生・輝子先生)
           二月号から「新しき生命の佛教」の連載が始まる。
           二・二六事件の直前に「大調和の歌」を発表。

昭和11年3月      光明思念歌「天照らす御親の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり」を発表。『生長の家』誌313日発行
           に昭和人類光明思念の放送」を提唱。
           『生長の家』誌4月号より「『古事記」の講義』を連載。

昭和11年6月      初心者のための月刊誌『光の泉』を創刊。

昭和11年7月      『生長の家』誌七月号に「新しき生命の佛教」(六)において初めて『華厳経』を解釈される。

昭和11年8月      白鳩会機関誌『白鳩』を創刊。

昭和11年9月     『生長の家』9月号より、「近況通信」が始まる。(戦後、「明窓浄机」となる)

昭和11年9月      万教帰一連盟なる。発起人として倉田百三・杉山元治郎・千家尊建・ラス・ビハリ。ポ-ズ・加藤一夫/
            賛成人として井上哲次郎・今竣聴(今東光)・本壮可宗

昭和11年11月      最初の比叡山夏季講習会が開催される。

           『生命の芸術』を改題し、綜合雑誌『いのち』を創刊。
           『生命の實相』大聖典を刊行。

昭和12年2月      『いのち』二月号において「久遠を流るるいのち」を発表。

昭和12年3月      『耶蘇伝』を日比谷公会堂において上演。尾上菊五郎の養成する日本俳優学校劇団によって公演。

昭和12年9月      『いのち』時局文芸思想大講演会を九段軍人会館で開催。講演者、武者小路実篤、杉森孝次郎、本荘可宗、
            中河與一、萩原朔太郎、倉田百三各氏のあとを受け谷口雅春先生「白馬に跨る基督」と題して講演。
            (その他、この『いのち』の文筆者は当時の名立たる人でした(長與善郎、片山敏彦、谷川徹三、伊藤正徳
           、保田與重郎、齋藤晌、小島威彦、浅野晃、難波田春夫、亀井勝一郎等

昭和12年11月      『實相體驗集成』第一輯を発行。

昭和14年1月      『生命の教育』1月号より「無門關講義」の連載始まる。
昭和14年3月      「いのち」を改題して『行』として求道実践のための雑誌とする。

昭和14年5月      東亜同和会の設立(対満州、支那の教化)本部を大阪市天王寺区東高津南之町に置く

昭和14年11月      『生長の家』東亜同和版を発行。(2年間継続刊行される。)

昭和15年4月      宗教団体法の実施に伴い、教化団体生長の家から宗教結社生長の家となる。

昭和15年6月8日    同和会の計画部長・中林政吉氏が満州国駐在を命じられる。

昭和15年8月     初めての野外講演会を京都円山公園音楽堂において開催、聴衆14千名。

昭和15年9月     「天皇信仰」を発表。『生命の教育』9月号の巻頭言に発表。


昭和15年10月     大政翼賛生長の家青年会(後、皇運扶翼生長の家青年会と改める)が結成

昭和15年11月     東京から山口悌治講師。青島に在った新田潔講師を満州開拓青少年義勇隊の訓練所へ派遣要請

昭和15年末      皇紀2600年を記念して蓼科高原に記念塔を建造。(この中に『生命の實相』や神誌などが納入。100年後に開かれる。

昭和16年1月     「大日本神国観」を発表。

昭和16年4月     宗教結社生長の家の設立
          『谷口雅春選集』(潮文閣)を発刊。

昭和16年10月     『生長の家』東亜同和版、『光の泉』、『生命の教育』、『行』が10月号をもって終刊となる。


昭和17年2月     愛国機献納運動

昭和17年6月     満州建国10周年慶祝講演会のために、朝鮮・満州各地を御巡錫。

昭和18年8月     谷口雅春先生、「言葉の力と国民歌の選択」を発表し「海ゆかば」を歌うことを批判。

昭和18年9月8日    第二回朝鮮・満州御巡錫。

昭和18年11月     「続々甘露の法雨」を発表。
            光明図書貸出機関の設立(通称「光明書籍文庫」)

昭和18年12月     『生長の家』12月号みおいて「出版決戦体制に応ずるため誌友諸氏に告ぐ」を発表

昭和19年3月     「日々読誦三十章経」を発表。

昭和19年4月     皇道大学寮を開設

昭和19年6月     本部建物を第一師団司令部に献納し、本部仮事務所を原宿の学生寮に移す。「皇国神力発動の根本をなすもの」
           を発表し、軍及び政府の政策を批判。



昭和19年10月     用紙配給杜絶のため、10月号をもって『生長の家』『白鳩』の発行不能となる。
           谷口雅春先生、江蘇省兵団長小林信男中将の招聘により渡支。上海、北京、天津、青島にて講演。
           北京においては支那派遣軍総司令官岡村寧次大将と会談。
           和紙短冊30万入手『皇軍必勝』と御揮毫。81日以後は新加入の人に『生長の家家族』と御揮毫



昭和20年5月25日     本部の消失。学生寮や明治神宮も消失。
            空襲が厳しくなる。山間の平和な処の信徒から疎開の進めがあったが「陛下が東京におわします限り、
            一歩も東京は出られません。折角の御好意ですけれどご辞退いたします。もしお世話になるとしたら、
         50人の家族ですから…」と帝都守護の固い決意をもらされた。