大正11年10月   一旦神戸へ戻り、上京

大正11年月   『東亜公論』へ入社。半月で退社

大正12年1月   浅草区小島町へ移転(金銀の飾り職人の二階)『聖道へ』執筆活動

大正12年2月13日 論文集『聖道へ』を東京・新光社より出版。『聖道へ』出筆後、小説家を志し、長編小説三編(『神を審判く』、大本教祖を主人公とする小説及び摂津紡績時代の工場労働者を主人公としたプロレタリア小説)を執筆、また、浅野和三郎主宰の雑誌『心霊研究』にはマッケンジ-の『幽明之交通』等を翻訳紹介する。(関東大震災にて消失)

長編小説『神を審判く』の製本完了


大正12年9月1日  関東大震災の為に
大本教祖を主人公とする小説(出口教祖詳伝)と摂津紡績時代の工場労働者を主人公としたプロレタリア小説も世に出ることはなかった。東京市浅草区松葉町半田方に在住

大正12年9月13日  高岡の輝子先生の実家に避難

大正12年10月10日  恵美子先生御誕生(高岡市中川町の江守家において)

大正12年12月13日  神戸の養父母のもとに帰る(神戸市夢前町3丁目40-1


大正13年2月     大阪で復刊した浅野氏主宰の雑誌『心霊界』の編集を担当。

『新時代』10月号に「若き者の成長のために」を発表。以後、『新時代』誌上に多数の文章を寄稿。

この頃、生田神社前の古書店「永田文進堂」においてフェンウィック・ホルムスの“The Law of Mind in Action”を入手


大正13年4月17日  清貧道から無礙道への転機となる論文「個人に於ける『宣光社』的はたらき」を執筆。『光』56月号に発表。

この頃『三部作“聖杯”第一部』(『神を審判く』を自費出版。

『神の牙城に迫る』(『神を審判く』を改題。


大正13年12月25日  このころ、ヴァキュ-ム・オイル・カンパニ-の広告部に翻訳係として入社。


大正14年1月13日    梅ノ木の家を見つける(武庫郡住吉村梅ノ木859-1(2年2ヶ月在住)

大正14年6月10日    ホルムス著“The Law of Mind in Action”を訳捕し、『如何にせば運命を支配し得るか』と題して実業之日本社から出版。


大正5年6月      倉田百三氏編集の『生活者』6月号より「仏蘭西美術家の心霊現象」を連載。(昭和27月号完結)

『信仰革命―霊魂の不滅と人の死んだ後の話』を東京三土社より出版。


大正15年8月     柳ノ川の家に転居(御影町柳900)2年7ヶ月在住

 

大正15年9月      スィ-・ディ-・ラ-ソン著『錬心健康術』を翻訳し、東京三土社より出版。


昭和2年       ホルムス著“Being and Becoming”を翻訳し、『神と偕に生くる道』と題して東京警醒社書店より出版。

この年、「お互いに讃める生活」「失業対策根本案」「大調和の世界―生存は果して罪障なりや」等、教化のための論文を『光』『新時代』『生活者』に毎月寄稿する。

 

 昭和3年4月   

『光』(4月号)に「一つの提唱」を発表し、自らも月一度の日曜日に「求道者の会」を主催。
このころ、「雅春」に改名。